作家、演出家、T factory主宰。1959年12月22日東京生まれ。横浜に育つ。
1980年、劇団第三エロチカ創立、以来全作品の演出・劇作を務める。1985年、「新宿八犬伝 第一巻-犬の誕生-」で第30回岸田戯曲賞受賞。1991年、映画初監督作品「ラスト・フランケンシュタイン」。
2002年3月、自作戯曲上演プロデュースカンパニー「T factory(ティーファクトリー)」創立。戯曲集・小説・エッセイ・評論など著書多数。
最初にこの企画を口にしたのはジェスランのほうからだった。私たちは別のプロジェクトを立ち上げようとしていた頃で、その際に使用するテキストはふたりのリレー戯曲にしようと提案してきた。
私は即座におもしろいと答えた。そのプロジェクトの実現は無しとなったが、リレー戯曲の企画は是非やろうということになり、劇作にとっては多言語への翻訳という作業も常に問題であり重要なので、それをもう一本の柱にしようとなった。
三年前、セゾン文化財団の助成によって『東京/ニューヨーク往復書簡』がスタートした。
第一章『路上にて』のタイトルを提案したのは、私だった。このタイトルならどのようにでも書けるとジェスランは同意した。それ以外、わたしたちは何の事前の打ち合わせもなく、ルール設定もなかった。ただ最初に書くのはジェスランと決めて、時間にしておよそ15分のピースを書き下ろした。観劇している方はわかると思うが、最初からスターバックスのシーンまでだ。それを受けて、私は喫茶ルノワールのシーンから始めて最後までを書いた。ふたつを足して30分ほどの第一章となった。
森下スタジオのワークショップではジェスランと私、参加する日米の俳優四人で下訳をもとに(下訳は英語から日本語は私がやり、日本語から英語は参加俳優の岩崎麻由さんが行った)英語から日本語、日本語から英語の翻訳作業を一日およそ四時間ほどの五日間みっちり行った。
ひとつひとつの台詞を俳優が発語してチェックし、台詞として不自然ではないか、言葉のニュアンスが作家の意図と合っているか、もっと見合った言葉があるのではないかなどなど細かい確認をしながらの濃密な時間だった。
作家が生存しているのだから、こうした翻訳作業が有りなのではないかという探求と実験である。
俳優諸氏は日英バイリンガルの方に集まってもらった。こうしたことに興味を覚える方が集まったのである。ネィティブ・スピーカーは、ニューヨーク英語を理解する方々を人選した。私が書いた日本語の台詞を生きたニューヨークの口語にしたかったからだ。
翻訳された第一章は30分の長さで、日本語版英語版両方が森下スタジオでリーディングされた。
その数ヶ月後英語版がニューヨークのラ・ママ・ギャラリーでジェスランがキャスティングしたニューヨークの俳優達によってリーディングが行われた。
続きはまた明日。
私は即座におもしろいと答えた。そのプロジェクトの実現は無しとなったが、リレー戯曲の企画は是非やろうということになり、劇作にとっては多言語への翻訳という作業も常に問題であり重要なので、それをもう一本の柱にしようとなった。
三年前、セゾン文化財団の助成によって『東京/ニューヨーク往復書簡』がスタートした。
第一章『路上にて』のタイトルを提案したのは、私だった。このタイトルならどのようにでも書けるとジェスランは同意した。それ以外、わたしたちは何の事前の打ち合わせもなく、ルール設定もなかった。ただ最初に書くのはジェスランと決めて、時間にしておよそ15分のピースを書き下ろした。観劇している方はわかると思うが、最初からスターバックスのシーンまでだ。それを受けて、私は喫茶ルノワールのシーンから始めて最後までを書いた。ふたつを足して30分ほどの第一章となった。
森下スタジオのワークショップではジェスランと私、参加する日米の俳優四人で下訳をもとに(下訳は英語から日本語は私がやり、日本語から英語は参加俳優の岩崎麻由さんが行った)英語から日本語、日本語から英語の翻訳作業を一日およそ四時間ほどの五日間みっちり行った。
ひとつひとつの台詞を俳優が発語してチェックし、台詞として不自然ではないか、言葉のニュアンスが作家の意図と合っているか、もっと見合った言葉があるのではないかなどなど細かい確認をしながらの濃密な時間だった。
作家が生存しているのだから、こうした翻訳作業が有りなのではないかという探求と実験である。
俳優諸氏は日英バイリンガルの方に集まってもらった。こうしたことに興味を覚える方が集まったのである。ネィティブ・スピーカーは、ニューヨーク英語を理解する方々を人選した。私が書いた日本語の台詞を生きたニューヨークの口語にしたかったからだ。
翻訳された第一章は30分の長さで、日本語版英語版両方が森下スタジオでリーディングされた。
その数ヶ月後英語版がニューヨークのラ・ママ・ギャラリーでジェスランがキャスティングしたニューヨークの俳優達によってリーディングが行われた。
続きはまた明日。